神奈川県立の障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた悲惨な事件について。
事件では、入所者45人が被害に遭い、加害者の植松聖被告には死刑判決が下されました。
この判決は、社会に「生きるに値しない生命が存在するのか」という深い問いを投げかけています。
記事では、死刑制度そのものに対する異なる見解が示されており、死刑が加害者の考えを部分的に認めることになるかどうかについて議論されています。
また、死刑囚の扱いに対する社会の感受性についても触れられています。
この事件と判決は、私たちに人間の尊厳と法制度の役割について深く考えさせるものです。
死刑と命(3)被告の命は「生きるに値しない」のか | 社会 | カナロコ by 神奈川新聞
神奈川県立障害者施設「津久井やまゆり園」(相模原市)の入所者ら45人を殺傷した植松聖被告(30)に16日、死刑判決が言い渡された。事件は派生的に「生きるに値しない生命はあるのか」という根源的な問いを投げかけた。ならば、刑罰として被告の生命…
以下、ネットの反応
死刑は被害者への正義だと思う。
でも、死刑が加害者の考えを肯定することになるかも。
人間の命には等しく価値がある。死刑は違う。
重大な罪には厳しい罰が必要だ。
死刑制度自体を見直すべき時が来ている。
被害者のことを考えると、死刑以外考えられない。
法律と倫理は常に複雑だ。
この事件は社会全体で考えるべき問題を提起している。
加害者に同情する余地はない。
死刑が本当に正義につながるのか、疑問だ。
それは罪を犯していない人間の話、罰則での死刑は関係ありませーんwww
対称性がない
問われてるのは命の重さではなく、罪の重さ。
命を軽く扱う事が重い罪なのよ。
だから死刑も仰々しく殺す。
植松が正しい。「生きるに値しない人間の命」は存在する。
だからこそ安楽死も死刑も出生前診断で障害が判明した胎児の中絶も認められている。
植松が間違えたのは、その線引きを他人に対して自分が行えると思ったこと。
極悪人はさっさと処理
人間扱いする必要無し
国家が定めた法によって裁かれるのであって、そこに正義や悪は存在しない
生きる価値がある人と、生きる価値がない人はあるかもしれんね。
まあ死刑があるってことはそうなんだろうな。
やまゆり園の人は生きる価値ありで、それらの人を殺した植松くんには生きる価値なし。
単純にそういうことでしょ。そう国が決めたんだからしゃーない
未練たらたらで草も生えない
現行の死刑制度は罪の重さに対して、刑罰の重さが釣り合わない場合が多い
死刑ではなく、人権剥奪刑にすべきではなかろうか?
人権があるから最高刑に処される
価値のあるなしなんて関係ない
したことの責任を取るだけ
この理屈でいうと、逆説的に「障碍者=罪人」とも言えるけど、
それは無理があるだろwww
万人に生きる価値があるから死刑に罰としての効果がある
生きる価値のない人間は殺す価値もない
No。死刑の是非は「死をもって償うしかない罪が存在するか」という問いしか投げかけない。
ワイは植松派。
実の親族にすら隔離されるような存在に、人としての尊厳はない。
植松がやったことは、せいぜい「器物破損」以下。