最近、成人したかつてのいじめっ子たちが、自分たちの行動について謝罪するために、学生時代の担任の先生のもとを訪れたという話を耳にしました。
しかし、その先生は謝罪を受け入れることを拒否し、「あなたたちは謝ればそれで済むかもしれないけれど、あなたたちのせいで不登校になった人の人生はどうなるのか」と言われたそうです。
いじめという言葉は軽く聞こえるかもしれませんが、実際の内容を聞くと、それは犯罪に等しい行為だったと言われています。
この話には賛否両論あるでしょうが、私自身はその先生の言葉に大いに同感です。
学生時代に問題を起こした子たちにも、それぞれ背景があるかもしれませんが、いじめの構造や学校内のヒエラルキーがなぜなくならないのか、32歳になった今でも疑問に思います。
私自身もかつていじめられた一人として、その影響は大人になっても色々と感じることがあります。
以下、ネットの反応
先生の言葉、ズシンときた。謝るだけじゃ足りないよね。
でも、謝りに来たこと自体を評価すべきじゃない?成長した証拠だよ。
いじめがトラウマになってる人もいる。そう簡単にはいかない。
いじめっ子も色々な事情があるのかもしれないけど、被害者の苦しみは計り知れない。
大人になってからの謝罪は意味がある。でも、それで全てが許されるわけじゃない。
学校のいじめ問題、もっと真剣に取り組むべきだよ。
被害者の気持ちを第一に考えるべき。謝罪受け入れるかどうかは被害者が決めること。
いじめを経験した人にしかわからない苦しみがある。それを忘れちゃいけない。
社会全体でいじめのない環境を作る努力が必要だね。
過去の行動を反省して謝る勇気、少しは評価したいけど、それだけじゃ足りない。
ピントのずれたコメントがあるね。
謝りに来た事は成長の証だろうけど、それで許されるかは別の問題。
先生は成長を褒めてもいいし褒めなくてもいい。だがいじめは許さない。
許す許さないは怒っているか収まっているかじゃあないんだよ。
そもそも謝れば必ず許してもらえるわけではないしな
「謝ったけど許されない」は普通に有り得ること
いじめ=即警察通報の習慣にしないと、あいつら反省しないよ。学校はことなかれ主義だから。即弁護士に依頼して、未来潰してやらないと。
くすぶった過去の火種にびびって
訴訟対策的な意味で謝罪の事実と示談してます的な状況作に来ただけかもしれんしね
これって本当の話だとしたらこのエピソードを漏らした教師にもかなり問題あると思うけどな
何が謝った事が成長のあかしだよ
しかもいじめられた当事者でもない担任の元に謝りにいったんだろ?
何の意味があんだよw
先生をいじめていたということ?
謝罪しに来た人達を許さなかったとしても、それでは何も変わらない。許さなければ更正も無くなるのだから、感情とは別に判断すべき事もある。
更生ってか謝ってすっきりしたいだけやろ
謝罪が被害者や関係者の認識を変えるに値するものであったかを判断するのは当事者次第であって、関係のない他人が実情も知らずに許すべきと要求することではない
謝りに来たのも自分たちがすっきりしたいからで、真に反省した訳じゃないのを先生に見抜かれたんだろう。
いい加減日本も教育する教師と校内の治安を維持する警備員とで役割分担したら良いのに。
世も末だな
反省なんて欠片もしてないよ
SNSで過去の悪事が暴露される時代になったから
もしもの時に彼らも反省してるんですよって言ってもらうための根回し
罪悪感すらなくひたすた保身のためのロンダリングでしかない
先生の言う通り許したところで被害者は救われないどころか追い打ち喰らうだけ
許されなくても仕方ないという気持ちで被害者に対して真摯に謝罪した上で相応の慰謝料積むならまだ分かるけど被害者でもない教師に口だけで謝ってみせる安いパフォーマンスにどれだけの誠意と価値があるのかと
>と言われたそうです。
普通に解釈すれば教師に「言われた側」からのエピソードと読めるだろ
この聞き取りをした人が教師を敬ってるなら教師の発言の可能性はなくはないけど