有識者「ダンジョン飯を見てて思うんだけど女性が構築するファンタジーはリアル。男には描けない」

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ダンジョン飯とか見てても思うんだけど、やっぱ女性の構築するファンタジーは現実だなと思う。現実の地続きにある。レッドドラゴンに消化された妹の白骨死体を再構築して蘇生させるなんて手段、多分男は詳細に描かない。描けない。不思議な力で治す。

女性作家にとってのファンタジーはかなり細かくて、センス・オブ・ワンダーと言うよりもリアリティ、だなと思う。生理がある事、生活が苦痛と血肉と密にある事。それを恐ろしいものとして遮断しない事。現実に、すくそばにあること。適切に因数分解すれば恐ろしいものでは無いという理解力。
物語の構築方法も理路整然としている。人間関係や善悪の思想が主なテーマであり、かたや男性作家は(とりわけ漫画に限って言えば)バトルシーンがメインとなるパターンが多く、男は喧嘩を舞踏会、或いはゲームとして描く。どうすれば勝てるか、どの様な手段で勝利する事にカタルシスを覚えるかに終始する
そのため女性作家による戦闘シーンは突拍子が無いものは少なく戦闘自体にカタルシスを感じる作品も少ない。リアルで、下手すると冗長である事さえある。こと戦闘における悲喜交々や起承転結、カタルシスを描かせたら男性作家に軍配が上がると思う。ただ、それ以外が粗雑。戦いのための戦いになりがち。
女性の描くファンタジーやバトルものは丁寧。鬼滅も、星野桂も九井諒子も小野不由美も、恐らく私はちゃんと読んでないけどJKRもグィンも。パズルのようですらある。人間関係も、肉体の損傷や治癒の方法、言語に至るまで。そして当然女性作家故に女性が物語の陣頭指揮を取る場合が多い。
男性作家による女性キャラは補佐役に徹する事が多いのがノイズになるが女性作家による男性キャラは聖人過ぎるきらいがある。戦いへの渇望、時に後ろ暗い性欲、英雄視されたい欲求など、ある種人間性が希薄で、精神的に熟達しており、理解力に優れ、人格者である。そこには女性自身の投影がある。

以下、ネットの反応

ダンジョン飯が緻密に作られてるのは九井諒子だからであって女性だからじゃない。
こういうのを「成果の盗用」という。

ハガレン全盛時代に賢者の石がハガレンオリジナル設定だと思いこんで、他の錬金術系作品を盗作扱いして噛みついてた人たちを思い出した。

このポストはあまり共感できないけど、百合作品とか読んでると同じテーマでも男性作者と女性作者で描き方に違いがあるのは確かにわかる

女性作家さん、名作を産むたびにエセフェミニストの叩き棒にされるの可哀想すぎる

ぼんやりと 女性作家の描く漫画の女の子は服や髪型がよく変わるなあと思っている

偉大な作家をくだらない男女対立に持ち込む上に、唯一無二の個性を属性によるものだと矮小化させる極めて無知蒙昧失礼な発言だと思う。

女だからだの男だからだので一括りにされて、作家も可哀想だな、、、こんなんクリエイターに対する侮辱でしょうよ。

なんで自身の訳の分からないジェンダー論に作品を利用するのか
作家へのリスペクトに欠ける

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