私は最近、同性愛に対する人々の忌避感が理解できないと感じています。私自身は男性で、他の男性のファッションや着こなしに興味があります。しかし、それが「ゲイ」だとどうして扱われるのでしょうか?
例えば、男が女性の水着姿に興味を持つのはストレートとされますが、男の水着姿に興味を持つとすぐにゲイとされる。同じように、女性のミニスカートはストレートな目で見られますが、男性のスカート姿に興味を持つと、またゲイとされる。私はこれが矛盾していると思います。
同性という枠内で、特にファッションやビジュアルに対する興味を持っているのは当然ではないでしょうか?そこで質問です。なぜ同性愛や同性への興味がこれほどまでに忌避されるのでしょうか?
自己認識
【恐怖】「本当の自分」とはいったい何なのでしょうか?
自己認識についての問いかけです。「本当の自分」とはいったい何なのでしょうか?私たちは一日の中で多くの役割を演じ、その役割によって異なる性格を見せます。
たとえば、口数の少ない内向的な人間でも、営業の役割になると口数が多くなり、外交的な姿を見せます。仕事のスイッチが入ると、自分の声調や話し方、話すテンポまでが変わり、まるで別人のようになります。これは「営業マン」としての自分を演じているからかもしれません。また、これは静かな人間が積極的に仕事をするための一種のスイッチかもしれません。
しかし、一方でこれらの異なる性格を持つ自分が存在することにより、自分がどんな人間なのかがわからなくなることもあります。あるいは、このような状況が続くと、周囲から不信感を持たれることもあります。
もしかしたら、私たちは社会に適応するために、ある程度自分を偽り、TPOに合わせて様々な自分を演じているのかもしれません。しかし、その一方で、私たちは自分がどんな人間なのかをはっきりと自覚し、自分自身を見失わないようにしなければならないのかもしれません。
私のように、自分の性格がいつ定まるのか、どの自分が本当の自分なのかを迷っている人は他にもいるのでしょうか?また、このような状況に対して、どのように対処すべきかアドバイスをいただけますか?
【羞恥】働く自分の姿を他人に見られることに恥ずかしさを感じてしまう
働くこと自体は何も問題ないと理解しているのですが、働く自分の姿を他人に見られることに恥ずかしさを感じてしまうのが悩みです。
特に飲食店やコンビニなどの対面での接客業になると、お客さんに働いている自分の姿を真正面から見られると思うと、働きたくても働くことができません。
お客さんからすれば、働いている人の姿なんて見ていないし、興味もないのは理解しています。でも、自分が働くと、働いている姿が見られていると思い込んでしまい、恥ずかしくなってしまいます。
なぜこんなにも働くことに対して恐怖心を感じてしまうのでしょうか?この感情がどこから来るのかもわからないし、どうしたらこの問題を克服できるのかもわからない状況です。
皆さんの意見やアドバイスをお願いします。
LGBTへの優遇措置、適正な線引きは?
皆さんに意見を聞きたいことがあります。LGBTの方々の社会的な理解や扱いについて、最近特に話題になっていますよね。確かに彼らに対する理解やサポートは必要だと思いますが、過度な優遇についてはどう思いますか?
そしてもう一つ、この問題はより身近なところで考えると、もし自分の子供がLGBTであったら、どう感じますか?どう接しますか?私自身、まだ答えを出せずにいます。皆さんの意見をお聞かせいただければと思います。
「可愛い」の基準、SNSはどれくらい影響してる?
私は20代半ばの女性で、毎日のようにアイメイクをしています。友人やSNSで見る化粧や整形の参考になる情報が多くて、どんどん"可愛い"の基準が上がっている感じがします。特にアイメイクに関しては、しないと自分が不格好に見えてしまうのです。
しかし、これって本当に自分のためになっているのでしょうか?自然な肌の状態を良くするスキンケアやリップに比べて、アイメイクは本来必要ないと感じることがあります。
そして、彼とデートする際にすっぴんを見せるのが恥ずかしいと感じてしまいます。彼が私の化粧後の顔しか知らないから、化粧を落とした私を見て引かれてしまうのではないかという心配が頭から離れません。
女性にとっての化粧は本当に必要なのでしょうか?また、私の考え方は間違っているのでしょうか?皆さんのご意見を伺いたいです。
私たちの愛、社会は認めてくれる? 同性婚についての悩み
最近、自分自身の中で大きな疑問が湧き上がっています。それは、同性婚についての見解です。私は25歳の女性で、社会人として働きつつ、自分自身のアイデンティティと向き合う日々を送っています。
学生時代から親友として大切にしてきた女性がいます。彼女とは何でも話せる、心から信頼できる存在でした。そして、ある時から、彼女に対して友人以上の感情を抱くようになりました。同性愛者、レズビアンという自分自身の感情に気づいた時は、とても混乱しました。社会的にまだまだ理解が得られない部分もある中で、自分の感情と向き合うことはとても難しかったのです。
その後、彼女との関係も深まり、最終的には私たちはパートナーとして一緒に生活することを決めました。しかし、ここにきて私たちは新たな問題に直面しています。それは、「結婚」です。一部の国や地域では認められている同性婚ですが、私たちが住む日本ではまだ法的に認められていません。
正直に言うと、私たちは結婚を強く望んでいます。家族として社会に認められ、法的な保証を得たいと考えています。しかし、同性婚に対する社会の見解や理解はまだまだ浅いです。私たちはどう進んでいけばいいのか、その答えを見つけられずにいます。
同性婚について、皆さんはどう思いますか?法的に認められていない中でも、私たちの愛情は変わらないのですが、結婚という形でその愛情を認められることが、それだけで大きな意味を持つのではないかと考えています。私たちの立場を理解し、何かアドバイスをいただけるとありがたいです。
「あたし」と自称するゲイの友人の心情について
自分の友人の中には、ゲイの男性が何人かいます。彼らとの交流を通じて、ゲイの男性の中には一般的に女性が使うであろう言葉遣いをする人がいることに気づきました。例えば、「あたし」を自称したり、一般的に女性が使う表現や語尾を使う人がいます。
でもその一方で、彼らは自分自身を男性と認識していることを明確にしています。それなのに、なぜ女言葉で話すのでしょうか?性別や性的指向については尊重すべき個々の自由と思っていますが、この疑問はどうしても解消されません。
もちろん、全てのゲイの男性が女言葉を使うわけではないのは承知しています。しかし、特定の人々がある特徴的な言葉遣いをする背後には何か理由があるのか、それとも単に個人のスタイルなのか、興味が湧いてきます。
この疑問が、私だけのものではないことを願っています。誰かが同じことを感じていたり、答えを持っていたら教えてほしいです。それによって、私たちは多様な性別や性的指向をもっと理解し、受け入れることができるのではないでしょうか。
元カレとの禁断の再会…これは罪?
私、35歳でバツイチ、そして子供が2人います。そしてつい最近、20年前に別れた元彼と再会しました。彼には3年付き合っている彼女がいます。しかし、彼と過ごす時間は何とも言えず楽しく、ふざけた話や昔話で楽しく過ごしました。そして、思わず2回目のデートで、私たちは体の関係になってしまいました。
こんな経験をするなんて、自分でも驚いています。子供たちがいるので、頻繁に彼と会うことはできませんし、彼を手に入れようとも思っていません。それなのに、彼のことが頭から離れないんです。好きだという感情とは少し違う何かです。
離婚して2年、私は自分がもう誰ともそんな関係になることはないと思っていました。それなのに、この経験を通じて自分がやはり女性であることを感じました。
これからも彼との関係を続けていくのは良くないことなのでしょうか?私、ただ彼にとって都合のいい女に過ぎないのでしょうか?